探偵カズヤの福島県内情報

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福島市の「土湯温泉」

旅の目的地として昔から人気の高い温泉。
私、自称・名物探偵Xも温泉は大好物です。
日本の四季と自然を満喫できる露天風呂ならことさら癒されますよね。

さて、今回はそんな温泉の中から福島県福島市の「土湯温泉」(つちゆおんせん)をご紹介したいとおもいます。

泉質は、硫黄泉、炭酸水素塩泉、単純泉から成っていて、これは「土湯温泉」全体の源泉がもとです。

温泉街には足湯が4箇所用意されており、全て無料。
荒川沿いには19軒の旅館やホテルが並んでいますが、歴史は古く、昔から湯治場として知られている場所です。
最近は、近代建築物も建てられ、遠隔地からの観光客も数多く利用しています。
これは、JR福島駅や東北自動車道からのアクセスも良い、好立地であることも理由の一つ。
春は、温泉街のそばの「仁田沼」の周囲にミズバショウやカタクリの花が見られます。
共同浴場は「中の湯」と「こけし湯」の2軒。

もともと土湯は「鳴子温泉」、「遠刈田温泉」、「温湯温泉」など一緒にこけしで有名な温泉地でもあります。
土産物としても売られており、「こけしの展示館」などが建っています。

開湯伝説が残っており、オオムナチノミコト(大穴貴命)が荒川のふちで鉾で地面を突いたところ発見されたと言われています。
鉾で突いたことから「突き湯」と呼ばれ、それが転じで「土湯」となったのだとか。

福島市の地名の由来

全国の”何かおもしろいこと”を探している名物探偵Xです。
今回は福島市の地名の由来について。

古代に、福島市周辺の代表的な地名は「岑越」(みねこし)だったと言われています。
現在の「信夫山」も以前は「岑越山」と呼ばれていたそうで……。
奈良時代、律令制のもとで、各道に官僚が馬を乗り継ぐための「駅」が設置されていましたが、東山道の福島周辺の駅名は、「安達」(本宮)→「湯日」(ゆい・二本松市)→「岑越」→「伊達」(伊達郡)→篤借(あつかし・現在の宮城県白石市)となっていました。

その後、「杉妻大仏」の建立や、杉妻城(大仏城→福島城)や大森城の築城によって、政治的な中心地を代表する地名が「岑越」から「杉妻」に変わっていったと考えられています。

福島という地名は、安土桃山時代に福島城主となった木村吉清が、それまでの「杉妻」を縁起の良い福島に改名したという説が有力です。

また、「伊達風土記」よれば、遠い過去、現在の福島盆地は湖で、その中心には小さな島があったのだそうです。
この島は現在の「信夫山」の頂上で、その島には、吾妻山から「あづまおろし」という風が吹き下ろしていました。
このことから、吹島(ふくしま)と呼ばれていたのだとか。
その後、長い年月によって湖が干上がり、陸地ができると、「吹」を「福」とし、福島と呼ぶようになったという説があります。

福島県福島市が生産量日本一のモモ(4)

日本の観光名所や名物などを探求している自称・名物探偵Xが、今回もお送りするのは、福島県福島市が市町村別生産量日本一を誇るモモについてです。

今回はモモの持つ謂れなどをご紹介します。

中国では桃は「仙木」や「仙果」と呼ばれ、邪気をはらい、不老長寿をもたらす果物とされてきました。
モモの木で作られた弓矢を射ることは悪鬼除けの効力があると信じられていたのです。
また、モモの枝を畑に挿すと虫除けのまじないになるとも言われていました。
さらに、モモの実の絵柄は長寿を表すとされ、祝い事の席にモモの実をかたどった練り餡入りの饅頭菓子(日本でいう桃饅頭)を食べる習慣があります。
桃饅頭は、日本では中華料理店などでも食べることができます。

日本でも、昔から桃には邪気をはらう力があると考えられていました。
『古事記』では、伊弉諸尊(イザナギミミコト)が黄泉醜女(ヨモツシコメ)を退散させるために桃を投げつけています。
何と言っても有名なのは『桃太郎』ではないでしょうか。
桃から生まれた男児が成長し、鬼を退治する民話は、邪気をはらうモモの象徴と言えるでしょう。
また、3月3日の桃の節句には、桃の実や花の加護によって女児の健やかな成長を祈る行事です。

福島県福島市が生産量日本一のモモ(3)

観光地や名産品など、全国津々浦々の名物を紹介している自称・名物探偵Xです。
今回も福島県福島市が市町村別生産量日本一を誇るモモについてのお話です。

モモの原産地がち中国であることは、これまでの話の中にも登場しましが、それがヨーロッパへと伝わったのは、1世紀頃、シルクロードを通ってのことでした。
英語の「ピーチ」(Peach)は、もともとは「ペルシア」が語源と言われており、ラテン語で「ペルシアの林檎」を意味しています。

日本では桃の種が縄文時代後期から出土しており、弥生時代後期には大陸から栽培種が伝来していたのだとか。

モモは、平安時代から鎌倉時代にかけて「水菓子」と呼ばれて珍重されていました。
当時の品種はさほど甘いわけではなかったのですが、薬用や観賞用として利用されていたという説もあります。

甘く瑞々しい和菓子を「水菓子」と呼ぶことがありますが、これはモモから由来していたのですね。

江戸時代になるとモモは庶民の間へと広まり、全国的に知られるようになりました。
明治時代には、甘味の強い「水蜜桃」が輸入され、食用として広まったのです。
現在、国内で栽培されている品種は、ほとんどがこの水蜜桃を品種改良したものだそうです。

福島県福島市が生産量日本一のモモ(2)

こんにちは。
全国の観光地や名産品を紹介している名物探偵Xが、今回も福島県福島市が市町村別生産量日本一を誇るモモについて言及したいと思います。

モモと言ったら、花もいいですが、やはり興味を惹かれるのは桃の実です。

モモの実は7月~8月にかけて実ります。
「桃の実」は秋の季語に数えられていて、丸く、縦に筋目が入っているのが特徴です。
果肉はたっぷりと水分を含み、柔らかく、糖分やカリウムが豊富です。

栽培中に病害虫の被害に遭いやすい果物でもあり、たいていの場合には袋をかけて保護されています。
痛みやすい果物でもあるため、収穫後にすぐに軟らかくなることから、賞味期間も限られています。

生で食される他にも、ジュースや缶詰などに加工されています。

「実桃」と呼ばれる食用の品種には、以下のようなものがあります。

「水蜜」(すいみつ)は、一般的なモモの実で、果肉の色は白色や黄色、ピンク色をしています。
皮には柔らかい毛が生えており、「白桃」(はくとう)と「黄桃」(おうとう)に分かれています。

「ネクタリン」(Nectarine)は「椿桃」(つばいもも・つばきもも)などとも呼ばれ、皮が赤く、毛は、ほとんどありません。

福島県福島市が生産量日本一のモモ(1)

こんにちは。
全国の観光地や名産品をご紹介している名物探偵Xです。

今回は福島県福島市が市町村別生産量日本一を誇るモモについて言及させて頂きます。

モモはバラ科の植物で、その木も実もどちらも「モモ」と呼ばれています。
春に五弁以上の花を咲かせ、夏になるといわゆる「モモの実」をつけます。
水分が多いのが特徴で、原産は中国。
花は鑑賞用として、実は食用として、世界各国で栽培されています。

モモの花は3月下旬~4月上旬頃に淡いピンク色の花をつけます。
「桃の花」は春の季語にもなっており、モモの咲く時期は「七十二候」(古代中国の季節を表す言葉。二十四節気をさらに細かく分けたもの)において、中国では「桃始華」、日本は「桃始笑」と呼ばれていて、それぞれ啓蟄の初候、次候に当たります。

モモの花は淡いピンク色の他、白や濃い紅色のものまで、さまざまなな色があります。
「花桃」として知られる観賞用の品種には、「源平桃」(ゲンペイモモ)や「枝垂れ桃」(シダレモモ)などがあります。
庭木や、華道の切り花としても使われています。

また、花よりもやや遅れて茂る葉を湯に入れた「桃葉湯」は、あせもなど皮膚の炎症に効くと言われています。
ただし、乾燥していない生の葉には青酸化合物が含まれているので換気には充分な注意が必要となります。

福島県福島市「宮畑遺跡」(2)

旅をしていると、ふとした風景に心を動かされるものです。
私の場合は、それは使われなくなった学校であったり、港の横にひっそりと置かれた廃船であったりします。
かつてはその学校には子供の声があふれ、廃船は海原を水を切って進んでいたでしょう。
そういった光景を思い浮かべると切なさが胸に広がります。

遺跡を目にしたときも、私は同じような感覚を味わうのです。
今回も引き続き福島県福島市「宮畑遺跡」についてお話ししたいと思います。

縄文後期の「宮畑遺跡」の特徴として、住居の中に石を敷いた床がある「敷石住居」と呼ばれる遺構がいくつかあります。
敷石住居は関東地方にときおり見られる住居跡です。
また、この時期の遺構から発見された土器類は関東地方の物と同じ特徴を持っている物が多く見られます。
どうやら、この時期、この集落は関東地方の強い影響を受けていたと思われるのです。

晩期になると、集落には掘立柱建物が円形に配置されている遺構が現れました。
長方形に区画された、直径90cmの掘立柱が立っていたと考えられる巨大な柱穴跡も出土しており、これは祭祀など、集落の行事の際に使用されていたものであると推定されています。
円形に配置された掘立柱建物遺構群の外側には、子供の墓と思われる物も数多く見つかっています。

――以上、名物探偵Xがお贈りしました。

福島県福島市「宮畑遺跡」(1)

こんにちは。
自称・名物探偵Xです。
全国には色々な名物があるものです。
どんな小さな町や村にも、何かしら名物はあるのですから、名物を知ることはその土地を知ることにもつながるのではないでしょうか。

今回は、福島県福島市の「宮畑遺跡」についてご紹介したいと思います。

「宮畑遺跡」は、福島県福島市にある縄文時代の遺跡です。
約4,500~4,000年前の縄文時代中期から、約4,000~3,000年前の後期、約3,000~2,500年前の晩期にかけて、3つの集落跡が複合している遺跡です。
2003年(平成15年)には国の史跡にも指定されました。

「宮畑遺跡」の縄文中期の集落跡からは約40の竪穴住居が発見されています。
この頃の「宮畑遺跡」は、屋根に土を載せて炉を備えたものでした。
また、住居の半分に焼け痕が見られたことから、集落の半数の住居が焼かれていることがわかっています。
このような現象は他の縄文中期の遺跡では見られないことから、「宮畑遺跡」の謎の一つであり、特徴にもなっています。

「宮畑遺跡」の縄文後期の集落は、先の中期の集落とはつながっていない点も注目したいところです。
つまり、この集落の縄文後期の人は、中期の人の子孫ではなく、約4,000年前に新たにこの場所に移住してきことになります。

福島県福島市「和台遺跡」(2)

遺跡にはロマンがありますね。
発見された土器や建物跡から、古代の人の色々な暮らしを想像してしまいます。

さて、今回も前回に引き続き、私・名物探偵Xが、福島県福島市「和台遺跡」についてご案内したいと思います。

「和台遺跡」の特徴として、その遺物が全国でも他に類ない人体文土器であったり、南東北地方ではそれまで出土例のなかった狩猟文土器が出るなど、たくさんの縄文土器や石器などが出土しています。

しかし、そんな中でも人骨は1体しか発見されていないのが謎と言われています。
この人骨は焼かれたために残されていました。
当時は土葬が一般的であったのに対し、どうしてこの1体のみ火葬にされたのかはわかっていません。

出土品からは、他に黒曜石、翡翠、魚骨、さらには関東・北陸・中部地方からの影響を受けた土器も発見されています。
このことから、遠隔地とも深い交流があったことが伺えます。

遺跡の規模は、台地一帯の約5万平方mにも広がり、東北地方南部では最大級の縄文集落跡であると言われています。

遺構や遺物などを調べてみたところ、縄文時代のこの集落が、およそ200年間も続いたことが判明しました。
しかし、その後に集落は急速に衰えて、放棄されてしまったようです。
この点については、現在も理由についてはさらなる追究や検討が重ねられています。

福島県福島市「和台遺跡」(1)

皆さん、いかがお過ごしですか?
お仕事お疲れ様です。
全国各地の名所旧跡をご案内している名物探偵Xです。

今回、私がご紹介したいのは、古代ロマンにあふれる遺跡についてです。
その中から、福島県福島市飯野町にある「和台遺跡」(わだいいせき)を取り上げたいと思います。

「和台遺跡」は縄文時代中期の集落遺跡で、国の史跡にも指定されています。
位置は、福島県中通り地方の北部。
福島県を南北に流れる阿武隈川が、大きく曲がった地点にあります。

発見されたのは1996年(平成8年)のことでした。
県道にかかる橋の取付道路の建設をするため、台地を掘削したところ、この遺跡が確認されました。

橋は発掘調査実施後の2000年(平成12年)に完成しましたが、遺跡を保護するためにトンネルを設置し、遺跡の下を掘り進む方式に施工計画が変更されました。

その後、福島県教育委員会による調査によって、およそ230軒の竪穴住居と掘立柱建物、土器埋設遺構や土坑などの遺構が発掘されています。

土坑の多くが貯蔵穴として使われていたようで、竪穴住居の外側では特に広く分布しています。
中央の広場周辺に点在する土坑からは、人骨がほとんど確認されていません。