探偵カズヤの福島県内情報

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蔵の街 喜多方2

全国の美味しいものや珍しいもの、すばらしき観光地を紹介している名物探偵Xですが、今回も蔵の街喜多方のことお伝えしようと思います。

蔵の街、どんなイメージを持ちますか?蔵にもいろいろあるので人それぞれの蔵のイメージがあると思います。喜多方市内には2600棟を超えるとも言われる蔵があるそうです。だいたい4世帯に1棟は蔵を所有することになります。喜多方にある蔵には粗壁、レンガ造り、黒漆喰、白亜などのさまざまな蔵の種類を見ることができます。この蔵は酒蔵や漆器蔵、味噌蔵、座敷蔵、店蔵といったものに使用されているのです。

蔵は普段の生活に使われているものがほとんどです。少し変わった使い方としては塀蔵という防火壁を兼ねたものやかわや蔵といってトイレに使われたものも。寺町では蔵造りのお寺として安勝寺があるのです。

喜多方では良質な地下水や米、大豆、麦に恵まれたため酒や味噌、しょうゆ、油などのいわゆる醸造業が盛んになりました。そしてその保存には蔵が必要になったので蔵がたくさんあるのです。他にも地場産業にも利用されています。また喜多方では明治時代に約300棟を焼失してしまうという火事があり多くの蔵が残ったためその耐火性、耐久性が実証され蔵がたくさんつくられたようです。

また、喜多方の男性にとっては蔵を建てるということがいわゆるステイタスのようなものだったこともあるようです。「蔵のひとつも建てられないようでは一人前の男ではない」なんていうことを言われていたようです。

蔵の街 喜多方1

全国の美味しいものや珍しいもの、観光地などを紹介している名物探偵Xです。今回は福島県喜多方市です。喜多方市といえば有名なのは「喜多方ラーメン」ですが、喜多方のもう1つの顔、それは「蔵の街」です。

喜多方は今でこそ喜多方ラーメンという商品で有名で福島県内でも有数の観光名所になりましたが、観光地になる前、喜多方には古くから地場産業としてあった味噌やしょうゆなどで使われていた蔵がたくさんありました。でもその地場産業も時代の波に飲まれ蔵と共に役割を終えて喜多方の市街地に取り残された状態だったのです。
市街地では車の利用がどんどん増え商店街からの要望で市街地に残されていた蔵を壊し駐車場や新しい商店街をつくろうとそんな計画がありました。

そんな取り壊しの最中にあった蔵を、金田実という写真家がその姿を残そうと蔵と市民の生活の写真を撮り続けて、その写真が喜多方の人たちだけでなく全国の人に感動を与えたのです。昭和50年にNHKで喜多方の蔵が紹介されたことで、古き良き時代の素朴さの残る喜多方市をただの観光地化されていないすばらしい場所だと、写真や絵を目的にした観光客で賑わうようになったのです。

今はこの蔵の街というより喜多方ラーメンの方が人気がありますが、この喜多方ラーメンはそもそも蔵を実に来た観光客が朝昼晩と食べたもので、そのお店の素朴さや人情などに触れ口コミで広まったのが始まりなんですよ。マスコミで紹介され、蔵の街ではなく喜多方ラーメンばかりが紹介されたことでラーメンの街になったのです。

蔵の街があってこその喜多方ラーメンなんですよね。

猪苗代湖のしぶき氷

全国の観光地や美味しいものをいろいろ調べている名物探偵Xです。今回は福島県会津にある『猪苗代湖のしぶき氷』を紹介します。

しぶき氷って知っていますか?しぶき氷は毎年1月上旬から3月中旬頃に現れます。猪苗代湖では冬になると氷の世界を見ることができます。しぶき氷というのは湖や滝、沼などからのしぶきが樹木、岩壁に大量に凍りついてできるもので、飛沫着氷と呼ばれることも。

猪苗代湖では厳冬期に、猪苗代湖天神浜から南側の林から長瀬川の河口に向かえばこの自然が作り出す氷の芸術を見ることができるんです。
しぶき氷は猪苗代湖の湖水が西からの強風で湖面が荒れあおられることで岸にある樹木などに水しぶきが飛び散り氷着したものなのです。
条件がそろうと非常に大きなしぶき氷ができることもあるのです。このしぶき氷は猪苗代湖の他に北海道の屈斜路湖にも見られるそうです。

このしぶき氷というものは国内では非常に珍しいもので樹氷にも勝るとも劣らないといわれているようです。猪苗代湖ではしぶき氷だけでなく湖面で流氷や御神渡りに似た氷の変化も見ることができるのです。

しぶき氷は自然がつくり出すものですから、同じものは二度と見ることはできませんし、毎日違った姿を見ることができるのです。このしぶき氷が見ることができる猪苗代湖、そこへ飛来する白鳥、そして磐梯山を写真におさめようとこの時期はカメラマンが非常に多くやって来るそうです。

信夫山

全国の美味しいもの、珍しいものや観光地を調査している名物探偵Xです。

福島県の県庁所在地である福島市。その福島市のシンボルといえば「信夫山」です。福島市の中心部にポッカリと浮かぶように存在している信夫山はとても存在感があり、福島市に住んでいる人にとってはとても親しまれている山なのです。

信夫山には見所がたくさんあります。
信夫山は西側が羽山、中央に羽黒山、東側が熊野山の三山の総称で青葉山、御山という別名もあります。実際信夫山の北西部には御山という地名があります。
信夫山というのは展望台と呼ばれる所が何箇所かありますが、本当に眺めがいいのです。元旦にはたくさんの人がここに集まり御来光を拝むのです。
信夫山にはわらじ祭りで使う大わらじが奉納されている羽黒神社もあるのです。
信夫山の東側、国道4号線からすぐのところには岩谷観音があります。ここには三十三観音、60体余りの魔岩仏が未だに存在しここでは山岳信仰というものが栄えていたんだということがよくわかるのです。
他にも子供達が走り回って遊べる公園がいくつもあります。アスレチックや、冬にきたが積もれば子供達がスキーを楽しめる場所などもあるんですよ。

信夫山自体も楽しむところがたくさんありありますが、そのすぐそばには音楽堂や県立図書館、美術館などの施設もたくさんあるのです。春には桜でピンク色に、夏には新緑の青々とした色、冬には真っ白に。春夏秋冬さまざまな顔を見せてくれる信夫山は福島の人に愛されているんですよ。

福島県の伝統工芸「奥会津編み組細工」

今回、名物探偵Xがご紹介するのは、福島県の伝統工芸「奥会津編み組細工」です。

「奥会津編み組細工」は、植物の蔓や皮を利用した編み組細工で、代表的なものに「ヒロロ細工」、「山ブドウ細工」、「マタタビ細工」の3種類があります。

「ヒロロ細工」は、「ヒロロ」と呼ばれる「ミヤマカンスゲ」を主な材料としたもの。
手さげ籠などの製品があります。
編み目が細かいので、レース編みのような美しさの中に素朴さが垣間見えるのが特徴。

「山ブドウ細工」は、山ブドウの蔓の皮を材料にした工芸品で、やはり手さげ籠などが作られています。
山ブドウの皮は使い込むほどツヤが出るのが魅力です。

「マタタビ細工」は、マタタビの蔓を使って作られています。
ザルなどの炊事用具として昔から用いられてきました。
水切れが早く、水分を含むとしなやかになるため、使い勝手が良いと評判です。

福島県は全国でも有数の豪雪地帯なため、冬の間の仕事として、受け継がれてきたのが、この「奥会津編み組細工」でした。

昭和47年頃から町主催で展示会を行うなどし、支援を続けてきた結果、地域住民にも浸透。
現在では100名を超える工人がいるそうです。

炊事用具はもちろんのこと、手さげ籠もおしゃれでかわいらしいデザインのものもたくさんあります。

福島県浜通りの「大堀相馬焼」

名物探偵Xがお届けしている全国の名産品。
今回ご紹介するのは、福島県浜通りの窯元で焼かれているの「大堀相馬焼」(おおぼりそうまやき)です。

「大堀相馬焼」は単に「相馬焼」とも呼ばれています。

その歴史は江戸時代に遡り、元禄年間に相馬藩士の半谷休閑が地元で陶土を発見したのがきっかけだったと言われています。
下男の左馬に命じ、日用雑器が焼かれ始めたのだとか。

浜通り北部のかつての相馬藩領は、「相馬野馬追」の伝統があります。
「相馬野馬追」は相馬市を始めとする福島県浜通り北部の旧相馬藩領で行われる神事、及び祭り。
藩主相馬一族の家紋から、陶器の絵柄に馬をつなぎとめる「繋ぎ駒」や、馬が駆けている「走り駒」が工夫されていることから縁起物として好まれています。

相馬市の「相馬駒焼」がもっぱら藩への献上品として親しまれていた一方で、この「大堀相馬焼」は大衆向けの陶器として利用されていました。

明治に入る頃には一時期衰えましたが、昭和に再興。
1978年には国の伝統的工芸品の指定を受けました。

陶器の特徴として、「青ひび」があります。
器に広がるひびのことで、鉄分を含んだ釉薬を使い、ひびに墨を塗り込むために黒く見えるものです。
また、「二重焼」によって、「大堀相馬焼」の湯呑みは冷めにくい言われています。

福島県の陶器陶磁器「会津本郷焼」

全国の名産品などをリサーチしている名物探偵Xです。

今回、私が調査してみたのは、福島県の陶器陶磁器「会津本郷焼」です。
「会津本郷せと市」が毎年8月第一日曜日に開かれています。

「会津本郷焼」は、1593年、領主の蒲生氏郷の求めで薩摩国から瓦工を呼び、「鶴ヶ城」の屋根瓦を製造させたのが始まりだと言われています。

17世紀中頃には藩主の保科正之が瀬戸から陶工の水野源左衛門が呼び寄せ、本格的に焼き物の基礎をこの地に築いたそうです。

さらに1800年には有田や京都で学んだ佐藤伊兵衛が磁器の製法を持ち込み、今の「会津本郷焼」の原型が完成しました。

現在は同じく福島県の「大堀相馬焼」に次いで東北2位の規模を誇る窯元です。
1993年には通商産業省から伝統的工芸品産地としても指定されました。

特徴的なのは、「会津本郷焼」で使われる「飴釉」です。
「飴釉」は名前の通り飴色で光沢を持っている釉薬。
この「飴釉」を使った代表的な陶器が「鰊鉢」と呼ばれるもので、古くからニシンの山椒漬けに使われてきました。
また、磁器を製作している窯元も多く残っています。

現在まで伝わる伝統工芸を残した領主たちは、間違いなく名君であったと言わざるおえないでしょう。

福島県会津地方に伝わる「会津漆器」

このたび、私、名物探偵Xがお届けするのは福島県会津地方に伝わる伝統工芸品「会津漆器」です。

国の伝統工芸に指定されており、歴史的には青森県「津軽塗」や石川県の「輪島塗」よりも早くから盛んに作られていました。

「螺鈿」や「蒔絵」など多岐にわたる技法が用いられるのが特徴です。

「螺鈿」は、貝殻の内側にある虹色の光沢を持った真珠層を利用した細工です。
真珠層を切り出した板状の貝殻のかけらを漆地や木地の彫刻さ部部にはめ込む手法。

「蒔絵」は漆器の表面に漆で絵や文様などを描き、それが乾かないうちに金銀の粉を”蒔いて”定着させる技法です。

木材は、トチ、ケヤキ、サクラなど使われています。

そんな「会津漆器」の歴史は16世紀後半に始まったと言われています。

当時の領主であった蒲生氏郷が、近江国日野から「日野椀」の木地師と塗師を招き、会津漆器の基礎を作り上げたのだとか。

1630年頃には、漆器の製造が盛んになったことから江戸へも届けられていたようです。
それから30年ほど経つと、すぐに大規模な産業に発展。

会津藩政時代には、技術革新に熱心に取り組み、中国やオランダなどへも輸出されていたそうです。

その後、明治維新では大きな打撃を受けた「会津漆器」でしたが、産地としての復興には素早さがありました。

福島市の山「一切経山」(2)

さて、今回も福島県福島市と猪苗代町をまたぐ「一切経山」(いっさいきょうやま・いっさいきょうざん)をご紹介します。
お送りするのは毎度おなじみの名物探偵Xです。

「一切経山」は「吾妻連峰」を構成する山の一つ。
標高は1,948mの、現在も火山活動の続いている活火山です。

登山する場合は、観光有料道路の「磐梯吾妻スカイライン」を使うと、標高1,600m地点の「浄土平」までマイカーやバスで行くことができます。
登山口は「浄土平ビジターセンター」の裏からスタート。
「浄土平湿原」を横断し、明治26年(1893年)の大噴火のときの遭難碑の付近で「一切経山」方面の急斜面を登ることになります。
その途中、右手に噴火口が見えますが、それが明治の噴火の時の噴火口です。
眺望は素晴らしく、東側は「浄土平」を中心に、「吾妻小富士」や火口湖の「桶沼」などが見られ、活火山であることが目で見てとれる景色が広がっています。

尾根で「酸ヶ平」からの道と合流すると、山頂まではあと20分くらいです。
山頂から見渡すと、360度の展望がひらけます。
「阿武隈高地」と「福島盆地」、西に「磐梯山」、北に「蔵王山」や「仙台平野」、北西に「置賜盆地」などなど。

福島市の山「一切経山」(1)

近年は登山ブームだそうですが、「登るのたいへんだろうなあ」と考えると、一向に足が向かない名物探偵Xです。
ええ、そう思った時点で、登山する資格なんて私にはございません。

しかし、遠くから眺める山もまた乙なものです。

今回は福島県福島市と猪苗代町をまたぐ山、「一切経山」(いっさいきょうやま・いっさいきょうざん)をご紹介したいと思います。

「一切経山」は「吾妻連峰」を形作る山の一つで、現在も火山活動の続いている活火山です。
標高は1,948m。
山頂は岩礫で覆われています。

ところで、「一切経山」とはとても変わった名前だと思いませんか?
この名の由来は、平安時代中期の武将、安倍貞任が「一切経」と呼ばれる仏教の教典を山に埋めたという伝説からきています。

この「一切経山」は、明治26年(1893年)の大噴火のときには噴煙が直径2km、噴出した容積は約50万立方mにもなったそうです。
当時の大噴火では、現地を調査していた技師2名が亡くなっています。

近年では昭和52年(1977年)に噴火が、平成20年(2008年)にはおよそ300mの噴気を確認されたことも。

登山する場合には、登山口の「浄土平」まで、福島駅西口から「高湯街道」西へ進み、「高湯温泉」と「磐梯吾妻スカイライン」を経由して約1時間で到着します。